明治時代、西洋技術を使って地図を作成する際、最初の基準となった「相模野基線」を土木学会が土木遺産に認証
で、この基線、相模原市南区麻溝台(北端)と座間市ひばりが丘(南端)とを結ぶ、長さ約5210メートルってことで、1882年、陸軍省参謀本部測量課(現国土交通省国土地理院)が、全国の地形図を作成する際に最初に測量したところなんだって。でで、その後、同基線を三角形の底辺に見立て、さまざまな場所との距離を計測する基準とされたっていうことですから、「ピタゴラスの定理」か?ででで、日本の近代測量の発祥地としての価値が認められたもののようで、全国的には基線が無くなってんだと。まあ、何事にも「基準」は大切ですからなあ?
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